2006年9月12日 (火)

文楽「仮名手本忠臣蔵」@国立劇場

 浴衣を着て文楽を見に行こうという毛妹(7/20記事既出)の提案により。毛妹は初めての文楽。私は十年ぶりくらいの二度目。
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/674.html
P9120001 朝10時半から三部まで全部みると終わるのは夜八時を過ぎるらしい。耐久できるわけもなく、一部のみ二時過ぎまで。大序から四段目「城明け渡しの段」まで。
 祖母と長く暮らしていたせいもあり、テレビで忠臣蔵は何度もみているから楽。文楽は同時代に書かれて生々しさをごまかすせいなのか、室町時代の設定に。高師直(吉良上野介)は塩谷判官(浅野内匠頭)の美貌の妻に横恋慕し、思いの伝わらない腹いせに塩谷をいびる。事情も知らずキレる若い塩谷。袖の下がないせいで「鮒武士」扱いするのはいわゆる「忠臣蔵」と共通しているけど、美貌の妻のエピソードはないですよね。吉良って、そういう脂ぎったエロ親父というより、ネチネチ女っぽい因業爺の印象。
 高師直といえば実在した足利幕府の重臣。教科書にずっと載っていた足利尊氏像は実は高師直だったのではという話はありましたね。
 この「仮名手本~」の面白いのが、高師直の無礼にハラを立てるのが塩谷判官だけじゃなくて、若狭助という同様に若い殿様が登場すること。若狭助が帰って自分の城で、
「高師直、まっぷたつに切ってやる~」
 と息巻いていると、家老・加古川本蔵が、
「ぜひそうしなさい」
 と言ったその足で高師直に付け届けをして機嫌をとり、血気盛んな若い君主の出鼻をくじく。これもいわゆる「忠臣蔵」にはないエピソード。この智臣のおかげで老中以下家臣は、塩谷のところみたいにお家取り潰しの憂き目を逃れる。けどこのおじいちゃん老中、廊下で高師直に切りかかった塩谷判官を、「殿中でござる」(という台詞は文楽にはない)と止めちゃうんである。塩谷の家臣じゃないのに。これはどうなんだ、おじいちゃん。本懐遂げられず切腹お家取り潰しの塩谷家臣に恨まれる。人生というものの深みを感じるエピソード。おじいちゃんの命運はいかに。
 悲劇の英雄を好むことを「判官びいき」というけれど、これがモトネタか、と思ったら、そっちは「九郎判官義経」からきていた。判官違い。
 パンフレット(600円)は床本と呼ばれる台本つき。上演中も舞台の両脇に字幕が出る。イヤホンガイドもあったけど、私は以前歌舞伎を見たときに作品と自分ひとりで相対するのを邪魔するモノという印象があるので使用せず。毛妹は初めての文楽だからと使っていたけど、途中から切っていた。
 小劇場といえど場内は満席。塩谷切腹のシーンでは涙をこぼす人も。常日頃誰よりも先になく「泣き女」の私としては予想外の完敗。ま、泣きはしなかったけど、切腹シーンは人形といえど痛そうだった。差してから死ぬまで長い。
「諸手を掛け、ぐつぐつと引き回し、苦しき息をほとつき」
 など描写もえぐい。
 写真にあるのは国立劇場売店で売られる切腹最中。五個だかで1250円。パカっと割れてはらわた出てる感じ。鑑賞の記念に購入。普通に美味しかった。

| | コメント (0)

2006年2月 8日 (水)

イタリア美術講座

 寿退社した同僚は日伊協会主催のイタリア語講座で旦那をみつけたのだけど、彼女は美術講座のほうにも通っていた。その話を思い出して同じ講座に通うことに。
http://www.aigtokyo.or.jp/cl01.htm
 私が受けた講義の講師は多摩美の松浦弘明先生。NHKラジオのイタリア語講座の講師もされたことがあるらしい。うちの会社には松浦先生と美術書の仕事をしたことがある編集のひとがいるのだが、彼女いわく、
「松浦先生は今の日本の美術界で本当に価値のあるひと。絵画の歴史的背景について話せるひとはたくさんいるけど、様式的なことについてまで話せるひとは少ない」
 芸大からフィレンツェの大学院?を卒業されているそうで、なんとなくノリがイタリアン。ちょい悪(ってのとは違うかね?)
 フィリッポ・リッピから始って、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ベリーニ、ボッティチェリ、アンドレア・デル・サルト、ティツィアーノ、ティントレット、カラヴァッジョの計11人、足掛け三年かけて(こればっかし)講義を受けた。大量の名画をみて、感性だけで絵画と対峙することに限界を感じていたけど、その不満が解消された。知的に、他人と共有できる言葉と視点で絵画に、画家の意図しようとしたことに迫るのは面白い。生活を越えたところに存在する美と永遠に手を伸ばしているかのような快感があった。真贋(真筆)についての検討なんかはOL生活では味わえない知的刺激だった。 
 最初の疑問だったジョットのべったんこ聖母子像。まあ、結論からすればジョットあってのラファエロ、ミケランジェロ、レオナルド(イタリア美術やイタリア史に少しでも馴染みのあるものはダ・ビンチなんどと呼んではいかん)そしてカラヴァッジョというところです。
 このように向学心にあふれるものの、講座は7時40分から始って終わるのは九時。都民ではないので、帰ると10時過ぎる。休み明けの月曜というのもなかなか体力的にキツかった。仕事が終わってコーヒーショップなどで腹ごしらえしていく。講義の最中、薄暗い中でスライドをみていると、おかしな注射でも打たれたんじゃないかと思うくらい眠くなる。これがミケ、ラファエロ、レオナルド、カラヴァッジョあたりの巨匠系だとそうでもないけど、絵が落剥したアンドレア・デル・サルトのスライドなんて映されたひには効果覿面。半分以上寝ていたなんてこともある。薄暗い中で先生の話を聞くだけなのでお友達ができるわけでもないし、月曜9時に終わられたら呑みに行くなんて空気にもならない。こんなんで体力的限界を感じていた。そこでルネッサンスの終わり、そしてバロックの始まりであり、二十代に映画「カラヴァッジョ」(デレク・ジャーマン監督)を見て興味をもち、そしてヴァチカンやサン・ルイージ・デイ・フランチェーゼ教会(ローマ)の本物の絵でも私の魂をつかんだカラヴァッジョを終了して、私のイタリア美術講座もひとまず終えることにした。
 美術に知的に迫るのは楽しい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年2月 6日 (月)

イタリア三都一人旅

 苦行「ローマ人の物語」読破とイタリア美術番組を二年かけて見まくった私は、31歳の夏、一人で一週間かけてローマ・フィレンツェ・ベネチアを旅行した。ローマは「ローマ人」だし、フィレンツェは「わが友、マキアヴェッリ」の舞台。ヴェネチアは「海の都の物語」。塩野七生ツアー。
 その前の年に友人と北インドを旅行した。友人はアジア放浪の最中で、私の夏休みに合わせてニューデリーで落ち合った。現地集合現地解散。会ったとき友人は「人間地球の歩き方」化していてたくましい限り。そんな彼女と「異国度№1」インドを旅して、いわゆる先進国、西欧文化圏を旅行するのは国内旅行に似たりの結論に達していた。ひとを誘うのも面倒だったし、行きたいところが決まっていたのであまり人を誘えるプランではなかった。
 ローマは先日も書いたとおり二度目。サンピエトロ大聖堂の威容は二度目になっても感動が薄れない。壮麗にして荘厳。地球上最高の天才と豪奢の融合。私が訪れた建物選手権の一位はバチカンで、二位がタージ・マハルは不動。ちなみに一度行ったら二度はいい、世界の有名建築物にすぐ挙げられるのはヴェルサイユ宮殿。最初大学時代ヨーロッパ周遊でパリを訪れたとき、友人の一人はパリが二度目だった。ヴェルサイユは行ったことがあるからいいと言って、一人でルーブルに行っていた。残り三人でパリ郊外のヴェルサイユに行ったが納得。豪華だけど悪趣味というか、味わいがないというか。鏡の間とか、どーなのあれ? そんなにいいかい? 庭はだだっぴろく整然としているだけだし。というわけで、33歳の夏はひとりでパリに一週間いたのですが、ヴェルサイユには行きませんでした。
 イタリア旅行では主に美術館を見てまわった。他に行くところないしね。ヴァチカン博物館では一度目に見逃したラファエロの間で「アテナイの学堂」を、一度目に行ったときは修復中だったシスティナ礼拝堂もみた。どっちも図録で本物はどうだろうと予想していたときのほうが心躍った。期待が大きすぎたか。サンピエトロ大聖堂は二度目でもさらに感動したのに。フィレンツェではもちろんウフィッツィ美術館へ。教科書とかでみたことある絵が所狭しと並んでいる。ヴェネチアではアカデミア美術館サンロッコ修道会へ。
 と、世界の至宝とでもいうべき名画の数々を見てまわったのだけど、やっぱり何がありがたいんだかよくわからない絵って多い。ラファエロやミケランジェロの絵に感動するのは簡単だ。わかりやすい。ところがルネッサンス初期のジョットの聖母子像なんて、どこがいいんだい? ベロンとしていて、聖母子も薄気味悪い。それがありがたそうに飾られている。美術番組なんかみると、格調高い音楽とともに賞賛される。素朴とか何とか。筆致がすばらしいとか何とか。いまいちぴんとこない絶賛調。共感できないのは感覚が鈍ってる証拠なのかと自信がなくなる。
 というわけで、いったい何がありがたいのか知るために、帰国してからイタリア美術の講座に通うことにした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)